【オーストラリア/パース】初めての南半球へ、1歳児を連れて行ってきた旅行記 – Day2/6

旅行 ~Trip~

【オーストラリア/パース】初めての南半球へ、1歳児を連れて行ってきた旅行記 – Day2/6

スケジュール – 予定

  1. 6:00 起床し、ホテルで朝食をとる。
  2. 8:00 にはホテルを出発し、フェリー出発地のパース港へ向かう。
  3. 8:45 パース港出発
  4. 10:45 Rottnest Island 到着
  5. 16:00 Rottnest Island 出発
  6. 18:00 パース港到着
  7. 18:30 ホテル戻りラウンジで夕食

この日の天候は、晴れ一時雨、26℃/19℃ の予報でした。

ホテル朝食

Marriottのプラチナ特典として、次の3つの中から選択がありました。

  1. 1000ptの付与
  2. ギフト
  3. 朝食のアップグレード

朝食は元々ラウンジでコンチネンタルが食べれると話がありましたが、せっかくなので朝食レストランでのビュッフェスタイルにアップグレードを選びました。

ベジタリアンが多いのかシード系のものが多かったです。卵料理はベーシックなオムレツなどはオーダー可能ですが、エッグベネディクトなどは別料金とのことでした。

Rottnest Island フェリー

ホテルからフェリーターミナルまではGoogle map上では1.1km 14分表記になっていました。行きは下り坂なので問題なかったですが、帰りの上り坂を帰るのはしんどそうなので帰りはタクシーを利用することを考えました。

ちなみにRottnest Islandは自転車移動を考えていたためベビーカーはホテルに置いてきました。

ホテルからのルートには途中に大きめの公園 [Supreme Court Gardens] もありました。

今回フェリーは Rottnest Expressで予約を取っていました。

乗船券と自転車2台+カーゴ(子供2人搭乗可)で合計$295でした。

乗船券はE-ticketのQRコードで乗船できました。ベル塔の裏あたりにあるRottnest Expressの窓口で購入もできるようです。

自転車類のレンタルはRottnest Islandに到着後に受取です。

船内

パース港からフリマントル港を経由し、Rottnest Islandに向かう航路です。

稀に湾内でイルカに出会うことができるという情報をwebで見かけていましたが、フリマントル港までの中間あたりで2頭のイルカに出会うことができました。一瞬だったため残念ながら写真に収めることは叶いませんでした。

特に事前お知らせはなかったと思いますが、今回はフリマントル港で船の乗継がありました。

乗継時はパース港からの乗客が移動後にフリマントル港からの乗客が乗船の順番になっていたため、良い眺めの座席はパース港からの乗客が優先して着席することができていました。

小型船は1階後方にオープンエリア、大型船は3階後方にオープンエリアがありました。どちらもトイレがあるので安心です。おむつ替え用のスペースはありませんでした。

Rottnest Island

rottnestexpress.com.au

自転車2台+カーゴ(子供2人搭乗可)をレンタルしました。

カーゴは子供1人+荷物置きにも使えとても便利でした。

昼食用に下船後すぐにある [Lane Cafe Rottnest] でラップとシードカップを移動前に購入しました。

クオッカは下船後すぐのエリアのお店のある辺りには多くいました。

第一クオッカと対面した娘は興味深そうに観察していました。

Rottnest Island ではビーチで泳ぐことも目的としていて、日陰や着替え場所がないことが想像できたので、ポップアップテントを日本から持参しました。

コールマン と アルペン で迷いましたが、実物を触ったところアルペンの方が薄く値段も半額程度なので アルペン にしてみました。スーツケースに入れたかったのでできるだけコンパクトなものが必要でした。

[LITTLE SALMON BAY] でビーチ遊びをしました。バスの停車駅が目の前なので、自転車でなくともアクセスはできそうです。15時ごろに来たバスの運転手が “Last bus!” と言っていたのでバス利用の場合は時間を気にする必要がありそうです。

パース港へ

帰りはフェリーの乗継はありませんでした。

そのままモンマルトル港を経由しパース港へ入港でした。

娘は船内の他の乗客との交流が楽しいようで、構ってくれる相手探しに忙しそうにしていました。

パース港でタクシーが待機していたら乗ろうと考えていましたがいなかったため、Uberで呼びました。$8.8でした。

Uberを呼ぶまでの少しの間、ベル塔のそばを探索。ちょうど鐘がなっていました。

ラウンジ

なんとか17-19時の食事タイムに間に合ったので、堪能していきます。

18時半ごろに入室しましたが、座席も空いており混雑はしていませんでした。

ホットミールが2種とハム類、アルコール類がありました。この日はラムのステーキと春巻きで、ラムのステーキが厚切りで柔らかくとても美味しかったです。

アルコール類はオーストラリア産がメインです。

スーパーマーケット

食後に21時までの営業時間に間に合いそうだったので、スーパーマーケットに行ってみることに。

[Woolworths Murray Street] を探索しました。

オーストラリアはコーヒー文化が非常に発展しており、特にエスプレッソをベースにしたカフェメニューが多いです。オーストラリア独自のコーヒーの種類もあります。

    1. ロングブラック (Long Black)
      オーストラリアでよく見かけるコーヒーで、エスプレッソにお湯を足して作られます。日本では「アメリカーノ」に近いですが、ロングブラックはエスプレッソの強い味わいが残ります。お湯を加えることで、エスプレッソの濃縮された風味が薄まることなく、まろやかな味わいになります。

    2. ショート・ブラック (Short Black)
      エスプレッソそのものです。日本でいう「エスプレッソ」とほぼ同じですが、オーストラリアではこれを「ショート・ブラック」と呼びます。非常に濃い味わいで、コーヒーの本来の風味を楽しむことができます。

    3. フラット・ホワイト (Flat White)
      オーストラリア発祥とも言われているフラット・ホワイトは、エスプレッソにスチームミルクを加えたものです。ラテに似ていますが、ミルクの泡が非常に細かく、口当たりが滑らかで、コーヒーの味わいがしっかりと感じられるのが特徴です。日本ではあまり一般的ではないですが、最近ではカフェチェーンでも見かけるようになってきました。

    4. カプチーノ (Cappuccino)
      オーストラリアではカプチーノが非常に人気です。エスプレッソにスチームミルクと泡立てたミルクを加え、通常はシナモンを少し振りかけることが多いです。日本でもよく見かけますが、オーストラリアではその品質にこだわりがあります。

オーストラリアはイギリスの植民地時代があった影響で紅茶文化が主流でしたが、イタリア系の移民などにより近年はコーヒー文化が紅茶文化を上回ってきているようです。

歴史

オーストラリアの植民地時代(18世紀末 – 1901年)

オーストラリアの歴史において、イギリスとの最初の大きな接点は、1788年にさかのぼります。この年、イギリスはオーストラリアを「新しい植民地」として開拓を始めました。このとき、**第一次船団(ファースト・フリート)**として知られるイギリスの船団が、現在のシドニー湾に到着しました。この船団には、流刑囚、兵士、そして一部の民間人が乗っており、彼らが最初のオーストラリアの植民者となりました。

オーストラリアがイギリスの植民地として始まった理由は、イギリスの社会で増えた囚人の問題の解決策として、新たな刑務所を建設する必要があったからです。そのため、オーストラリアは最初は「流刑植民地」として機能しました。

オーストラリアの発展と植民地化(19世紀)

19世紀初頭、オーストラリアには複数のイギリス植民地が次々に設立されました。オーストラリアの主要な都市(シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレードなど)が、イギリスの支配下で設立され、農業や鉱山業が発展し始めました。1829年には、現在の西オーストラリア州もイギリスの植民地として設立され、オーストラリア全土がイギリスの統治下にありました。

この時期、イギリスの植民地は次第に独自の経済的および社会的な構造を発展させ、イギリスとの結びつきが深くなりました。イギリスの植民地政策のもとで、オーストラリアは多くの移民を受け入れ、特に**金鉱の発見(1850年代)**がオーストラリアの人口増加と経済発展に大きな影響を与えました。

オーストラリアの自治と独立の動き(19世紀後半 – 20世紀初頭)

オーストラリアの植民地は、次第にイギリスからの自治権を求めるようになりました。オーストラリア各州(ニューサウスウェールズ、ビクトリア、クイーンズランド、サウスオーストラリア、タスマニア、西オーストラリア)は、独自の立法機関を持つようになり、自治を進めていきました。

特に、1901年にはオーストラリア連邦が成立し、イギリスからの法的な独立性が大きく進展しました。オーストラリアはイギリスの植民地から独立した「ドミニオン」国家となり、連邦憲法が制定されました。これにより、オーストラリアはイギリスとの「臣民関係」を維持しながらも、独立した立憲君主制の国家として新たな歩みを始めました。

世界大戦とオーストラリアの独立(20世紀)

第一次世界大戦(1914年-1918年)では、オーストラリアはイギリスとともに連合国側で参戦しました。この戦争は、オーストラリアがイギリスとの関係を再確認する契機となりましたが、戦争の後、オーストラリアの国家としてのアイデンティティが強くなり、イギリスからの完全な独立を目指す動きが加速しました。

第二次世界大戦(1939年-1945年)でも、オーストラリアはイギリスの支援を行い、特に太平洋戦線で活躍しました。しかし、この戦争を経て、オーストラリアは次第にアメリカとの関係を強化し、イギリスからの独立をさらに進めるようになります。1950年代以降、オーストラリアは完全な独立を遂げ、特に1973年にオーストラリアがイギリスから完全に独立した法的な地位を確立したことは重要な節目となりました。

現代のオーストラリアとイギリスの関係

現在、オーストラリアはイギリスとは独立した国家であり、イギリス君主(現在はチャールズ3世)がオーストラリアの元首であるという立場を保っていますが、オーストラリア国内での君主制廃止を求める声もあります。オーストラリアは独自の政治体制を持ちながらも、イギリスとの文化的、経済的、そして軍事的なつながりは依然として強いです。

イギリスとオーストラリアの関係は、歴史的な背景に基づいていますが、オーストラリアの独立後も、共通の文化、言語、そして連邦内での連携が続いています。

まとめ

  • 1788年:オーストラリアがイギリスの流刑植民地として始まる。

  • 19世紀:オーストラリアの植民地が拡大し、自治権を獲得。

  • 1901年:オーストラリア連邦が成立し、イギリスとの関係が変化。

  • 第一次世界大戦・第二次世界大戦:イギリスと共に戦争に参戦。

  • 20世紀後半:オーストラリアは完全な独立を果たす。

オーストラリアとイギリスの関係は、歴史的には深く結びついていますが、オーストラリアは時間と共に独立し、現在は自立した国として存在しています。それでも、イギリスとの文化的・経済的な絆は依然として強いままです。

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